“「信なくば立たず」を読んで1年前に起こった事件を思い出した。それは、自分の息子の小学校の運動会に行った時に、私の職業が教師だということを知ったあるお母さんから「私たちのクラスの担任の先生ひどくないですか。最近の先生の質の低下について、どう思われます?!」と聞いてきたので、「一昔前に、ドラゴン桜というマンガがはやりましたが、あのレベルの教師を揃えるとなると今の倍の給料を教師に払わないとならないですね。他にあまり職がない地方ならまだしも、他にいろいろな職がある東京のような都会では現在、優秀な人は教師になりたいと思わなくなっています。給料が今と同じでも教師になりたいと思わせるような何かが今は特に必要ですね。ここは、あなたが、学校や教師に何かを求めるのではなく、学校や教師に対して何をあなたが支援できるかというように発想を変えて行動することが必要ですね。」と返答したのを思いだした。私が話しを終えるやいなや、質問してきたお母さんは無言で私の前から去っていった。教師や学校を不当に叩けば叩くほど、優秀な人材は教師になりたがらなくなるので教員や学校のレベルは低下し続け、その害は子供に回ってくる。実際、東京都の小学校の教員応募倍率は低下し続け、かなり危機的な状況におちいっている。公立学校が悪くなると私立学校へ行くということになる。しかし教育資金が潤沢でない人や公立学校主体の地方の人には、この選択肢を選ぶことはできない。日本の二極化はさらにすすみ、階層化社会が強固に完成してしまう。団塊の世代が教育における儒教精神を古くさいものとして壊してしまったのが、現在の教育現場を惨憺たるものにした大きな原因のひとつと考えるけれども、ここはもう一度儒教精神を復活させて、先生を尊敬するように家庭で教育してみてはいかが? いやーでもそれは無理でしょうというのならば、功利的に先生を立てるふりをするだけでも教育現場は今よりはずっと良くなると思うけれど... どうかな?”